青林塾通信

「英語教育より国語教育の強化を」

有識者有志でつくる「国語教育問題懇談会」(愛甲次郎座長)は9月18日までに、初等中等教育における国語教育強化への提言をまとめた。「英語教育より国語教育の強化を」と求め、▽漢字教育の抜本的見直し▽敬語、文語の基礎を初等中等教育段階から国語教育で教えること▽国語政策担当機関の役割の明確化と政策の一元化――などを要望している。

同懇談会委員にはノーベル化学賞受賞者の野依良治氏、ベストセラー『国家の品格』の著者でお茶の水女子大学名誉教授の藤原正彦氏らが名を連ねる。

同懇談会事務局長の土居征夫・武蔵野大学客員教授は「戦後からの極端な漢字制限により、若者の語彙力や読解力の低下は著しいものがある。『幼少期からの自国語による知的基盤の形成の機会を持たない日本人は、いかに英語を巧みに操っても、世界と戦えない』とノーベル賞受賞者たちも異口同音に言っている。日本の未来のために国語教育の抜本的な見直しが必要と考える民間各界の有志が集まり、警世の提言書をまとめた」と、本紙にコメントを寄せた。

提言の要旨は次の通り。

初等中等教育における国語教育強化への提言(要旨)

1.英語教育より国語教育の強化を

現在初等中等教育においては英語教育の強化が進められているが、今必要なのは国民の論理的思考力の構築を妨げている、戦後一貫して進められてきた漢字排除の国語教育の抜本的な見直しである。

将来の漢字全廃乃至それに近い徹底的制限を前提として「当面の使用」を認めた当用漢字表(昭和21年告示)の基本的な考え方が、常用漢字表制定後も改められることなく、学年別漢字配当表(昭和33年)の形で継続し、今日の学生・生徒の語彙力・読解力の低迷、読書習慣の欠如、知的活動能力の低下をもたらしている。

このままでは、将来の日本を背負うべき幅広い知的中間層の没落が危惧され、日本語の劣化が国力の大幅な低下をもたらすことにもなりかねない。英語による世界のモノカルチャー化を抑止するためにも、日本語の再生が不可欠である。

2.国語教育強化の方向

国語教育の強化のため、最も急がれるのは漢字教育の抜本的見直しである。学生・生徒が興味を持って学びに没頭できる指導要領、カリキュラム、教材の開発が緊急に必要であり、国語教育における各分野の時間配分の再検討(語彙力・読解力に繋(つな)がる読む漢字の強化)、学年別配当表の抜本的見直し(廃止又は弾力化、教育漢字の大幅増加等)等々、漢字教育体系の抜本的見直しが検討される必要がある。そのため早急に教育再生実行会議や文化審議会国語分科会等による検討の開始が求められる。

漢字のみならず、敬語や文語についても、初等中等教育段階からの国語教育の中で、その基礎を教えることが検討される必要がある。また氾濫するカタカナ語の漢字熟語化も、国民間の知的分断の抑止等のために検討される必要がある。

国語教育の強化については、日本語科(教育課程特例校制度)の拡大、構造改革特区制度の活用、「朝の読書」運動のような教育界、産業界、地域が連携した自主的な運動の拡大等々、現場からの改革の動きも重要である。

3.教育行政の大改革

国語教育政策と国語政策をそれぞれ担当している現在の文科省と文化庁の関係を見直し、国語政策担当機関の役割の明確化と政策の一元化を図るべきである。さらには、中央に権限、予算、人員が集中し過ぎて、既得権の錯綜で自縄自縛となっている教育行政体制について、そのスリム化と、分権化を進め、トップダウンとボトムアップのベストミックスによる責任ある政策の再活性化を図るべきである。

 

「教育新聞」より掲載いたしました。

「教わり上手」になろう。

 

  世の中には「教え方」について書かれた多くの書籍がありますが、「教わり方」について書かれたものはあまり多くありません。しかもそのほとんどはビジネス書で学生諸君には不向きなものも多くあります。そこで「教わり方」についてまとめたいと思います。

 

 

 

1 解説中はノートを取ることに集中するな! 説明をしっかり聞いて、簡単にメモすればよい。ノートは家で清書すればよい。それは復習にもなる。

 

 

 

2 消しゴムは使うな! きれいなノートは大切だが、それも家で清書すればよい。消しゴムで消している間に授業は進む。

 

 

 

3 先生の指示をよく聞け! どの問題をやるのか、きちんと確認してから始めよ。勝手な判断は時間の無駄になる。

 

 

 

4 授業の中で理解すべきポイントを絞れ! あれもこれもと考えていると結局何も身に付かない。

 

 

 

5 質問は自分で復習した後にせよ! 復習して初めて具体的な疑問点がわかる。そうすれば的を射たよい質問ができる。やみくもな質問は授業の妨げになる。

憤せずんば啓せず。

 「自分の力で進んで、今一歩というところまで来てもたもたしている。そういう相手でなければヒントをあたえてやらない。」という意味で「論語」の述而編にある言葉です。以前、解剖学者の養老孟司先生がお話の中で「算数を解いている小学生がわからないといっても絶対に答えを教えてはいけない。簡単に答えを教えてしまうのは、その子の解く力をつぶすことになる。考えに考え抜いて解いた問題は絶対にわすれない。考え抜くことに学習の価値がある」ということを述べておられましたが、全くその通りだと思います。

 最近はすぐに「わかりません」と言って安易に答えを求めようとする人がとても目立ちます。本当にわからないというほどでもなく、ただ「めんどうだ」という感じがします。彼らが気づくまで待つのは教授者としては大変根気のいることです。それでも彼らの「気づき」のためには「根気よく待つ」姿勢が大切だと思います。